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津まつり実行委員会

514-8611
三重県津市西丸之内23番1号
津市観光振興課内
TEL:059-229-3234
FAX:059-229-3335



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津まつりの歴史

  • 津まつりの始まり

津まつりは元来「八幡神社祭礼」と呼ばれる歴史と伝統のある祭りで、寛永年間に始まりました。第2代藩主藤堂高次は、寛永9年(1632年)に千歳山(現在の垂水)の八幡宮を結城の森に移し、新しく社殿を造営しました。そして、この八幡宮を津の町の総氏神に定め、奉仕のために八幡町を新設しました。

寛永12年には、毎年祭礼が行われるようにと、高次は八幡宮に銀子10貫目を寄付しています。これは、町人に貸し出され、その利息金を祭礼の費用にあてるようにしました。 このように、八幡宮の祭礼は藩によって奨励、保護されたため、盛大に行われるようになりました。各町は競って趣向をこらし、華やかな山車や行列を繰り出しました。

そのにぎやかな様子は、京都の祇園祭や江戸の山王祭にも劣らないほどと藩士山中為綱が記録に残しています。

  • 江戸時代初期の津まつり

当時のまつりは、8月9日に神輿が出て、八幡町の御旅所(おたびしょ)と呼ばれる所へ移したあと、7日間にわたって行われていました。(神輿、行列は15日)

この頃の祭礼は、他の都市型祭礼がそうであったように、神の遊行を意味する神輿行列と風流行列(ふりゅうぎょうれつ)と呼ばれる豪華な衣装や造り物で群衆が囃し踊る行列とで構成され、参加者は総勢1,750人にものぼりました。

行列の順序は、最初の頃はくじびきで決めていたようです。順路については記述した文献は見あたりませんが、後期同様15日朝から八幡神社境内を一巡した後、城内へ向かったものと思われます。

参加した行列は次のとおり

「明暦年間祭礼の次第」「勢陽雑記(せいようざっき)」によると

・風流行列(各町の出し物)

※ 風流(ふりゅう)=豪華華麗な衣装や造り物で群衆が囃し踊ることや奇抜な趣向を  めぐらすことで、元来は雅びとか数寄の世界に遊ぶこと。

1番 浜魚町 造物、曳船一艘
堀川町・新中町 大名行列の真似
2番 東町 はりぬき大頭
西来寺 鐘曳
3番 西町・塔世町 仙人の真似
釜屋町 山伏の真似
加屋町 石引
4番 築地 猩々印五幣
山瀬古町 御湯立
新魚町 愛宕参りの真似
5番 宿屋町・中之番町 高野聖の真似
6番 分部町 唐人行列
7番 大門町 潮汲
8番 立世古町・西之番町・京口町 鷹野行列
宝禄町 杣人行列
新立町 順礼
9番 地頭領町 川猟
南世古・大世古 鷹野
10番 伊予町・岩田町 母衣武者の真似
総勢1,200人以上

・神輿行列

弓、槍、馬、太鼓伶人、獅子頭、巫女、榊木、大麻、鉾、旗、太刀、社僧、神主
総勢  200人以上

以上警固人をあわせて、1,750人ともいわれた。

  • 江戸時代後期の津まつり

江戸前期の行列順序は毎年、「くじ引き」で決めていましたが、中期頃からは西町を先頭として各町の順番が固定されてきたようです。

8月15日藩主の名代として加判奉行が津城の京口門を出て、八幡町にある御旅所に向かいます。

これを合図にして、真榊(まさかき)・太鼓を先頭に各町の練り物行列、津町年寄伊藤又五郎、神輿行列、八幡宮の神主が氏子らとともに町を巡行します。

この祭礼行列の一行は、八幡宮境内で一巡した後、再び京口門まで戻り、午後からは城内に練り込みます。城内では、物見亭や桟敷に礼服を着た藩主、家臣らが並び、祭礼行列の見物を楽しんだようです。城内を内堀沿いに一周した一行は、城を出て町内を練り歩きます。

現在でも分部町唐人踊りや八幡獅子などは10月9日に八幡宮で一巡してから町内を練り歩きます。

祭礼行列の内容は、初期の頃には大名行列や仙人、山伏の真似など「もの真似」が多かったのが、後期になると曳き屋台や釣り屋台を連ねた山車行列が主流になってきました。また、各町の出し物に「能楽」に題をとったものが多く見られるようになり、屋台に能役者の人形などが置かれました。

  • 明治時代の津まつり

明治時代、政府の神仏分離令や廃仏毀釈などにより、祭りが一時中止されることもありました。それにともない江戸時代の盛大さは少し失われましたが、明治時代以降、各町の出し物は大きくなり、からくり人形の豪華な山車や芸妓踊りなどが主流になりました。

  • 大正時代の津まつり

この頃、日程が旧暦の8月15日から10月17日、18日に変更されました。

10月15日に神輿が八幡神社を出発し、橋内の御旅所につきます。17日、18日と氏子町を練って(この時期は、練り廻るコースに県庁前が加わえられた)、18日夕方には岩田橋北詰で氏子各町が高張りちょうちんで見送ります。。

大正時代には各町の行列がせり上げ式の山車に仮屋台の囃子方をともなう出し物に変わり、最も華やかな時でした。また、商店街も祭当日は、すべてが店を閉めてまつりに参加するので、観音境内はたくさんの露店でにぎわいました。

祭日には、各戸で鰯寿司や煮しめ料理を作り祝ったそうです。そして、翌日山車の飾り付けを取り外して、それぞれの屋台蔵におさめ、その年の祭礼は終わりました。

  • 戦後の津まつり

戦争中、まつりはすべて中止となりました。市街地の被災は激しく、各町の山車や屋台はすべて焼失してしまい、祭りの形態も随分と変化しました。

そして、昭和43年以降は「津まつり」として、10月9日~11日の3日間に行われるようになり、大名行列や市民総おどりなどが新しく加わりました。

○ 昭和56年~昭和の終わり頃

いつも市のはずれに御神体があるので、年に一度は市の中心に御神体を持ってきて(戦前も同理由)みんなが祝おうと、9日にお旅所に来て、11日に帰っていましたが、56年から八幡さんだけ昔のように10月15日~18日に祭りをやるということで、56年以降平成元年までは10月9日~11日には御神体は市の中心(観音さん)にありませんでした。

○ 平成2年度

平成2年度の津まつりからは、八幡さんの御神体が10月9日~11日までの3日間、従前の御旅所に設けられることになりました。

国道の東側だけだったパレードも、この年から両側を使うようになりました。

○ 平成3年度

ふるさと創生事業で建造した和船山車「安濃津丸」が登場しました。

○ 平成10年度

JCによる「よさこいソーラン」をはじめて開催しました。

○ 平成11年度

まつりの日程を10月9日~10日の2日間に変更しました。

10年度のよさこいをバージョンアップ、「安濃津よさこい」として開催、津のオリジナル曲、地元グループも出演しました。

○ 平成12年度

国民の祝日に関する法律の改正(3連休化)により、まつりの日程を「体育の日」の前日と前々日(10月初旬から中旬の土曜日と日曜日)に変更しました。

パレードコースを変更、国道東側から津署前を通って市役所東側を通過、裁判所前にいたるルートになりました。

○ 平成14年度

パレードコースを変更、裁判所前でパレードを行い、その後立町交差点まで移動し、国道23号を松菱前までパレードを行うルートになりました。

○ 平成15年度

津駅前会場、津新町通り会場を増設しました。

○ 平成21年度

津まつり開催前日の金曜日に、津まつり前夜祭が開催されるようになりました。

○ 平成26年度

観音公園会場を増設しました。

パレードコースを変更、裁判所前から津中央郵便局前までパレードを行い、国道23号を右折して松菱前までパレードを行うルートになりました。